INSIDE STORY VoL .15 世界がまだ見ぬボールパークを目指して。

北海道日本ハムファイターズ 小川 太郎さん
BASEBALL

北海道日本ハムファイターズ

グラウンドの上で輝く選手やチームを支えているのはどんな人たちなのか。パ・リーグで働く全ての人を応援する、パシフィック・リーグオフィシャルスポンサーのパーソルグループと、パ・リーグインサイトがお届けする「パーソル パ・リーグTVお仕事名鑑」で、パ・リーグに関わるお仕事をされている方、そしてその仕事の魅力を紹介していきます。


前例がない、という喜び


 “新しい球場を創る”。ファンにとってはなんとも心騒ぐワードだが、そうそうチャンスは訪れない。NPBのフランチャイズ球場としては2009年の「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島」、パ・リーグでは2001年の「札幌ドーム」完成から18年の時が流れている。そこに朗報がもたらされたのが昨年。北海道日本ハムファイターズが、新しいボールパーク構想を打ち出した。その内容を見ると実に壮大でなんとも心躍るものだ。2023年の開業を目指して進むこのプロジェクトを担当するのが小川太郎さんだ。

「業務としては大きく2つあります。まず新球場の設計・施工の全体管理です。社内の関係部署と連携し、各部署が実現したい内容を新球場の設計に反映させていきます。もうひとつは新球場の大きさ約6ヘクタール以外の約26ヘクタールという周辺エリアについて、面として整備していくためのマスタープランの作成を進めています」

社内的にはチームサイドからの要望の他、チケッティング、マーチャンダイジング、飲食サービス、球場運営、など球団内の多様な視点を取りまとめる。このプロジェクトのキモは、新球場だけで完結するわけではなく、北海道庁や北広島市など地元自治体等とも連携しながら、ボールパークエリア全体が周囲にもたらす価値を考えていくこと。このプロジェクトを貫くコンセプトワード「共同創造空間」で表現されるように、多様なステークホルダーと議論を重ねながら意見の集約・調整を担う仕事だ。

「共同創造空間というのは、プロジェクトの推進体制を表す言葉として掲げた言葉です。新球場そのものもそうですし、中長期的な周辺の街づくりにも貢献していく、起点となって推進していくためには当然我々1社だけの知見でできることではありません。国、道、市、近隣市町村、その他民間の事業者と共同でやっていく。また、どういう事業体や専門領域を持つ方とアライアンスを組んでいくのかも重要になります」

 

 今回のボールパーク構想は新球場の完成をもって完結するものではなく、これを核としたまちづくりにまで及ぶ。つまり球場自体が完成してもそれはプロジェクトのゴールでは決してない。実に壮大。球団主導でここまでのプロジェクトは、国内では前例が見当たらない。前例がないからおもしろいともいえるが、前例がないから難しい。

「暗中模索な部分はありますね。国内において過去の考え方では、公的な予算で施設単体を建てるのが一般的かと思います。今回は民間の球団が主体となって地域ぐるみで進めていく。スタッフと国内外のスタジアムの視察を重ねて、アトランタ・ブレーブスの本拠地サントラストパークをはじめ参考になる事例はありましたが、それがそのままこの地で成立するわけではありません。また、プロジェクトのリソースとして中途採用の人材や外部の専門家をチームに組み入れることなど、これからも多様な知見、経験が必要になります」

事業としての前例はないが、小川さんにはその後の人生に影響を与えた、スタジアムに関する思い出がある。これが、「将来はスタジアムづくりに」という強烈な引き金になった。そのスタジアムはどこだったのか? 大学卒業後、遠回りのようで今思えば近道でもある小川さんのキャリアを探っていこう。


なにげなく訪れた、2つのスタジアムでの原体験


 小川さんは高校、大学までは部活でサッカーに打ち込んでいた。ただ、プロの選手になりたくても実力が足りないことは自覚していたという。そこで大学での学びのなかで、スポーツビジネスに興味をもった。当時、国内外の様々なスタジアムを訪問するなかで、大きな印象として残ったのが世界に冠たる2つのスタジアムだった。

「まず、ボストン・レッドソックスの本拠地であるフェンウェイ・パーク。当時、MLBについてはそれほど詳しいわけではなかったのですが、球場周辺の賑わいのつくり方がとても心地良かったと感じました。そこから球場に入ると、試合を見ている人もいれば、天気の良いなか、オープンデッキでビールを飲みながら、何となくしゃべっている人もいるという世界感。こういうのは日本にはないけど良いなと。

もうひとつはサッカー。FCバルセロナのカンプ・ノウ。ここでチャンピオンズリーグを初めて見たのですが、その瞬間的な熱狂、この空間の中での歓喜の様子……非日常の楽しいエンターテインメント空間だなと感激しました。そこで将来、日本でもこのような空間・環境が増えることが社会にとっても有益だと考え、スタジアムづくりをやりたいという思いに至りました」

卒業後の選択肢としてスポーツビジネスはあったものの、2007年、2008年ごろには、まだ国内では成熟した市場ではなく、小川さんも、どういうキャリアがあって、どういう会社に入ればそれができるかというのはわからなかった。

「いろいろな人に相談すると、いったんはビジネスとして違うことをしながら、自分なりの強みや経験をどこかで身に着けたほうがいい。別の道に行っても道が閉ざされているわけではないとアドバイスしていただきました。スポーツビジネス・スタジアムという拘りをいったん忘れて考えたとき、海外での濃密な仕事・現場経験、そしてプロジェクトベースで多様な事業体との協働の中で仕事をつくり上げていく働き方をしてみたいと思いました」

そこで選んだのが商社だった。

「商社であればそのチャンスも多いだろうと。将来を綿密に計画して決めたわけではないんですけど(笑)。それで海外でのプラント建設の部署に配属されました」

商社では、ベトナムとシンガポールで2つの発電施設のプロジェクトに、いわゆる上流工程から完成まで関わった。結果的にはこれが現在の業務の経験と知見につながっていく。7年務め、MBA取得のためにスペインへ留学。そしていよいよ北海道へ。

「いつかはスタジアムづくりを、というのは常に頭には残ってました。ただ商社の仕事もおもしろくて、没頭しました。7年目はちょうど仕事にひと区切りついたところでした。留学を終えサッカーの仕事のオファーもありましたが、私がやりたかったのはスタジアムづくり。競技軸ではなく、スタジアム、そしてそれに付随する空間づくりやまちづくりだと整理しました。ただ世界的にそうそうあるプロジェクトでもないので、今回はとてもいい縁をいただいたと思っています」

今回のボールパーク構想では、新球場だけで完結するのではなく、周辺の世界観をつくるところまでを担う。東京出身で北海道には元々縁がなかった小川さん。北広島市の広大な土地を目にし、北海道民や野球ファンの期待がひしひしと伝わるなかで、感じるのはワクワク感? それとも不安?

「当初はいろいろな不安を咀嚼できるほど見えていなかったので(笑)、ワクワク感の方が大きかったですね」

ワクワク感をもって挑むスタジアム改革、球場を核とした地域づくり。小川さんは「スポーツ施設を起点としたまちづくりのベンチマークになるようなプロジェクトにしたい」と言う。

「野球ファンだけではなく、楽しいから行く、集う。いろんな目的の人がここで共存できる楽しい多様性のある空間にしたい。それが地域コミュニティの情勢にもなり、地域への貢献にもなります。スタジアムとともにいろんな人が共存して、街や地域が良くなっていく。これはスポーツがもつ価値だと思います。これを体現できるプロジェクト。その先はまだわからないけど、この規模のものが成功することでベンチマークとなって、他にも広がって行くといいなと思います」

遠回りに見えたが近道。ここに至るまでのキャリアを計算していたわけではないが、結果、すべてが役立っている。プラント建設、留学を経たからこそ、このタイミングで日本では稀有と言っていい、これだけの理想と規模を持つプロジェクトにジョインできたのだから。

最後にこの仕事を目指す人へのアドバイスを。

「“好き“や”興味“という、自分自身の素直な価値観や気持ちというのは大事にするのが良いと思っています。転職を考える際には、条件面、仕事環境、それぞれが直面しているライフステージなどさまざまなことを考慮しなければならないと思いますが、全てにパーフェクトは求められないなか、自分の気持ちに正直に決めていくことで、最終的にはその後の納得感ややりがいにつながるのではないかと思っています」

◇過去のお仕事名鑑はパーソルの特設サイトからご覧いただけます。
https://www.persol-group.co.jp/special/pacificleague/index.html

文・岩瀬大二

(本コラムは2019年に取材・執筆した内容です)

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